「日野宿本陣」江戸末期の現存する 新選組の息吹を感じる天然理心流道場のあった場所[日野めぐりその1]

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日野はもともと江戸との交通の要。
今でもその日野宿本陣の建物は現存していて、見学することができます。
 
その本陣の様子をご紹介します。
 

日野宿本陣内の様子

日野駅から甲州街道沿いを歩くこと5分ほど。
日野宿本陣はあります。
 
門をくぐると、石碑と宿場だったことを示す立て札。
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この石碑は、明治天皇が以前ここにお泊りになられたことを記念して建てられたもの。
今はその部屋は別の個人宅に移築され、一般公開はされていないとのこと。
 
そして日野宿の役場のような建物と合わせて、道場と、佐藤彦五郎の屋敷でもある建物。
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1864年に建てられています。
 
入館料は 大人200円、子どもが100円。
 
中に入ると靴を脱いでまず最初の部屋からガイドさんが案内をしてくれます。
 
ひの新選組祭り中は10分位のタイミングでガイドさんの案内が始まります。
 
ガイドさんの案内を受けたのが、当時の日野宿の仕事場だったところ。
甲州街道から江戸に入る全てのものをここで管理していたとのこと。
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そして次の間は、当時の玄関だったところ。
入口には、建立時に贈られたというこの書がかけられています。
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すなわち武。すなわち文。
文武両道を意味します。
 
この部屋、新選組が京都に行って、その後江戸で隊士募集をするためにやってきた土方歳三がここを宿にしていました。
 
土方さんはよくこの書を見上げながら、昼寝をしていたとのこと。
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日差しが入り込み、昼寝にはぴったりですね。
 
次に案内をされたのは控えの間という場所。
宿場での交通許可を待っていた人たちのための場所。
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この奥には更に小さな控えの間があり、土方歳三の小性を務め、遺髪と写真、愛刀をこの日野まで運んできた、市村鉄之助を2年の間匿っていました。
明治政府樹立の当時は、新選組は悪者でしたので、隠し通すのも大変だったのでは、と思います。
 
こちらは彦五郎の住居部分だった部屋。
住居部はわずか3室。
意外に質素な生活だったようです。
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当時に使用されていたという、木桶などの展示もされています。
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美しく整えられた庭。
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こちらにも一部入ることができます。

 
庭から屋敷を眺めると、マンションという対比も現代ならでは。
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ちょっとした新選組の歴史の番組が上映されていたり、新選組についても学ぶことができるスポットです。
 

本日のまとめ

これだけの建物がきちんと残っていて、しかも見学ができる、非常に貴重な場所だと思います。
のんびりと見学したい方は、新選組まつりなどのイベント以外の日がオススメです。
 

スポット詳細

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長羅ある

モバイルサイトデザイナー&唎酒師。 日本酒好きが嵩じて、2016年2月に唎酒師の資格を取ってしまいました。 美味しい日本酒、グルメ、スイーツ、国内旅行、音楽(T.M.Revolution)を中心に、日常にちょっとでも潤いを与えられたら・・・という思いで書き綴ります。
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